今日は、パリ2024オリンピック・パラリンピックの最終日でした。

閉会式も楽しみですね。
新聞記事をきっかけに、スポーツにおける「共生」について考えてみました。
神戸は競泳(共泳)先進都市
パラリンピックの開幕を前に、以下の記事を読みました。
障がいを持つ選手と持たない選手が、一緒に競い合うことができる
について書かれています。
神戸では、長らくこの共泳に取り組んでおり、両者がエントリーできる
には、遠方から参加する選手もいるそうです。
また、一昨年からは、横浜でも同様の取り組みが始まったそうです。
けれど、競泳が盛んな国と比べると、まだまだ遅れています。
競泳先進国といえば、オーストラリアが有名ですが、同国では、オリンピックとパラリンピックの代表選考は、同じ大会の中で行われたそうです。
また、イギリスやオーストラリアでは、水泳の競技団体は、ひとつだけだそうです。
日本も、各競技団体が競技ごとにひとつずつになって、共に競える大会が増えるといいですね。
陸上競技で考えてみる
「共泳」の記事を読み、陸上競技ではどうかと考えてみました。
ということになるでしょうか。
陸上競技でこの話題になると、思い浮かぶのは、走り幅跳びのMarkus Rehm選手です。
今回のパリ大会でも、今春の世界パラ陸上でも金メダルを獲得していて、パラリンピックは4連覇、世界パラ陸上は7連覇のスーパースターです。
義足で競技を行うT64クラスの世界記録保持者でもあり、その記録は8m72です。
神戸2024世界パラ陸上の公式大会プログラムには、注目選手を紹介するページがあったのですが、一番最初に大きく取り上げられていました。
一方、健常者の走り幅跳びの世界記録保持者は、Mike Powell選手です。
記録が発表された瞬間に、満面の笑みで大きく両手を広げて走る様子は、名場面などでお馴染みではないでしょうか。
助走を始めるときに、高く腕を振る姿も特徴的ですよね。
そんなPowell選手が持つ世界記録は、8m95です。
30年以上更新されていません。
そんな中、Rehm選手は、人類初の9mジャンプを見せてくれるかもしれないのです。
Powell選手が世界記録を出したのは、1991年に東京で行われた世界陸上です。
ここ日本で、世界記録が誕生したのです。
そして奇しくも、次の世界陸上はまた東京、ここ日本の地です。

東京で9mが見られるかも!?
と期待したのも束の間、現況では、Rehm選手が世界陸上のために東京に来ることはありません。
オリンピックとパラリンピックなら、少し期間は前後しますが、同じ場所で、同じ大会であるともいえます。
一方、世界陸上と世界パラ陸上は、どうやらまったく別々のようなのです。
せっかく日本で大記録が見られるチャンスなのに、残念ですね。
公平なルールとは何か
障がいを持つ選手と持たない選手が
ことだけが
ではありません。(まとめて「共生」とします。)
健常者だけの大会でも、競技によっては階級やクラス分けがありますし、競泳だって陸上だって男女に分かれています。
いっそのこと、陸上競技は、パラ陸上のクラス分けを常態にして、健常者の方が「T0:障がい無し」(T09?T00?)や「F0:障がい無し」(F09?F00?)といったクラスで混ぜてもらうようにすれば、同じ大会で観られるのになと思いました。
もちろん、競技や種目、障がいの程度や部位によっては、ルールを整備することで、障がいを持つ選手と持たない選手が、同時に競い合うことも可能です。
今回のパラリンピックの日本代表選手の中には、大学生まで健常者の大会で十種競技をしていた選手や、松葉杖をついて高校野球をしていた選手がいます。
ガイドランナーを伴わない視覚障がいのクラスで、パラリンピックの金メダリストの記録の方が、オリンピックの金メダリストの記録より速かったことだってあります。
手の指に障がいがある、イギリスの自転車競技の選手は、健常者の大会にも出場しています。
スポーツは、ルールがあることで公平に競い合う(戦う)ことができるものです。
けれど

これってほんとに公平?
と思うようなルールがあったり、長い歴史があるスポーツでも、ルールがコロコロと変わったりします。
相撲なんて、絶対大きい方が有利だと思いますが、クラス分けはありません。
柔道では、団体戦が始まったことで、無差別級以外でも、階級を超えた一戦を観ることができるようになりましたね。
高山莉加選手がディコ選手を倒した瞬間は、驚きのあまり声が出ませんでした。
陸上では、男女混合リレーやユニバーサルリレーが人気種目になりましたし、車いすラグビーは、なんと男女混合です。
明らかに公平ではなかったり、有利性を目の当たりにしたりしても、誰も不思議に思っていません。
一方、私が今回のパラリンピックでハマった
には、アイシェードに関して、以下のようなルールがあります。
視力や視野などの障害の程度で差が出ないように、選手は完全に目隠しをして、同じ条件で競技を行います。
ゴールボールのルール | 日本ゴールボール協会【JGBA】 オフィシャルウェブサイト
さらに、アイシェードの下にはアイパッチを貼って、徹底的に視覚がふさがれています。
試合前や試合中もアイシェードがズレていないか、審判が厳しく確認をしています。
選手達の顔には、白い大きなアイパッチが

はがすとき痛そうなんだけど…。
と心配になるほど、びったりと貼り付けられていました。
そして、その上からゴーグルのようなアイシェードを付けるのですが、アイシェードもアイパッチも、試合中は、自分で触ったらダメなんだそうです。
公平を期すためとはいえ、驚くほど厳しく徹底されています。
視覚障がいといっても、どんな風に見えないのか、見えにくいのか、どれくらい見えないのか、見えにくいのかは、人それぞれです。
それを、全員が同じ条件で戦えるように、ルールが整備されています。
悟空は、重いTシャツ(?)を道着の下に仕込んで、天下一武道会に出ていました。
飛雄馬は、大リーグボール養成ギプスをつけたまま少年野球に参加して、へなちょこボールを投げていました。
いずれも、自分のトレーニングのために負荷をかけていただけですが、周りのレベルに合わせているという状況が似ている気がして、このルールを知ったとき、この2人を思い出しました。
さて、ではこのゴールボールの例に従って、健常者だけのスポーツで、ガチガチの公平を期すなら
ということになってしまうのではないでしょうか。
そうすると、体格(身長や体重など)がまったく同じ人としか、競えない(戦えない)ことになります。
でも実際は違いますよね。
階級やクラス分けがない競技はもちろん、体格で分けられている競技でも幅があり、必ず有利不利が見られます。
でもそれについて、不公平だ、公平なルールが必要だ、なんて声はありません。

大谷選手が強いのは、単に大きいからだよ。
などと思う人もいませんよね。
何がどれくらい違ったら、有利性があらわれて公平でなくなるのか、の判断は、非常に曖昧です。
また、分ける必要のないところで、無理やり区分されているように感じることもあります。
だからルールはコロコロ変わるのかもしれません。
変わっていくことが、公平に近づく手段のひとつなのかもしれませんね。
おわりに
スポーツにおける「共生」について
公平なルールとはどんなものかと、自問してみました。
スポーツとして公平に競う(戦う)方法は千差万別です。
障がいを持つ選手と持たない選手が、無理をして一緒に競技をする必要はありませんが、分け方の視点を変え、視野を広く持ち、柔軟なルール整備が進んでいくといいですね。
車いすバスケットボールには、健常者「も」参加できる大会があるそうです。
車いすの競技は、自転車競技をはじめとする、乗り物を使用する競技と同じです。
でも、健常者が対等に戦うためには、上半身をムキムキに鍛えて、車いすの操作技術をかなり磨かないと、簡単に負けてしまいそうですね。
障がいの有無に優劣はなく、単なる違いのひとつです。
全員違う人なのですから、真っ先に分けるところは、そこではないのではないかなと思います。